益子九郎・略歴
作曲家 益子九郎
益子九郎(ましこ くろう)は、第一回音楽コンクール作曲部門に入賞した作曲家です。
ウェブサイト「信時潔研究ガイド」制作者・裕子の父・三郎(信時潔の三男)が、
益子九郎を大叔父に持つ(裕子の)母と結婚したことで、信時潔と益子九郎は姻戚関係になりました。
益子九郎を大叔父に持つ(裕子の)母と結婚したことで、信時潔と益子九郎は姻戚関係になりました。
生涯結婚せず、子供を持たなかった益子九郎さんでしたが、
我が家とは晩年まで行き来があり、その最期を見送り、九郎さんの残した資料等の整理は
三郎、裕子に託されました。
我が家とは晩年まで行き来があり、その最期を見送り、九郎さんの残した資料等の整理は
三郎、裕子に託されました。
益子九郎が、音楽家として活動した当時のことを、知っている人も少なくなりました。
残された資料をもとに、その生涯と作品を紹介します。
(随時情報更新中)
NEWS 益子九郎旧蔵の信時潔、ミイの書簡をまとめた『益子さんへの手紙』が刊行されました。
益子九郎・略歴
1899 | 明治32 | 10月27日、東京湯島天神町で栃木県士族・益子右馬助の第九子、三男として生れる。母は、栃木県士族・茂木在住の上田鎰太郎の長女カツ。益子家は、栃木県黒羽藩家老を勤めていた家で、戦国末になくなった益子藩主の家柄だった。益子藩については『益子町史』に詳しい。 |
1916 | 大正5 | 父死去により家督相続。 |
1919 | 大正8 | 東京音楽学校予科入学。 |
1920 | 大正9 |
東京音楽学校本科器楽部(ピアノ専攻)に入学。この頃、駒沢村上馬(のち世田谷区)在住。音楽通論は、弘田龍太郎の教えを受けた。 |
1922 | 大正11 | 8月に信時潔がドイツ留学から帰国。音楽学校で何度か信時の授業を受けたが、秋に退学。 12月8日、静岡県田方郡伊東町に移住。近くの伊豆大島の「大島節」の旋律を採譜し、のちに信時潔作曲の合唱曲「大島節」となる。 |
1923 | 大正12 | 8月末、信時潔夫妻が伊東を訪問。30日に船で帰るのを見送って間もなく9月1日、関東大震災で罹災。津波に遭い、自宅の屋根に避難して助かった。 |
1924 | 大正13 | 世田谷区上馬に戻る。 |
1929 | 昭和4 | 12月5日、母カツ死去。 |
1932 | 昭和7 | 第1回音楽コンクール(時事新報社主催。日本音楽コンクールの前身)作曲部門入賞。入賞一名、入選は池譲、大中寅二、岡本敏明。 |
1933 | 昭和8 | 信時潔、片山頴太郎とともに編纂した『新定中学音楽教科書』(大阪開成館)上、下巻刊行。伴奏譜(全一巻)は1934年刊。 |
1935 | 昭和10 | 『新訂高等小学唱歌』(文部省)刊行、その編纂実務に携わる。 |
1936 | 昭和11 | 信時潔、片山穎太郎、益子九郎共著『日本学生歌』(大阪開成館)刊行。 |
1941 | 昭和16 | この頃より、横浜市港北区篠原町に住む。 |
1943 | 昭和18 | 『海ゆかば敷衍曲』作曲。そのほか、信時潔作品の放送用管弦楽編曲等を手がける。 |
1944 | 昭和19 | この頃、厚生科学研究所勤務。 |
1946 | 昭和21 | 東京音楽学校(のち東京芸術大学)に勤務。当初は教務嘱託、図書課、分教場掛など、のちに作曲助手を務めた。(昭和26年-41年)。文京区駒込林町に住む。 |
1969 | 昭和44 | 小田原市小竹で晩年を過ごす。 |
1990 | 平成2 | 7月16日 座間市相武台病院にて死去(91歳) |
1991 | 平成3 | 日本近代音楽財団 日本近代音楽館に作品資料、音楽関係蔵書等が収められた。(現・遠山一行記念日本近代音楽館 益子九郎文庫) |
(昭和初年頃)
益子九郎 作曲・編曲作品
管弦楽曲 | 牧歌 | 1932年 |
5 Variationen -Loreleyの主題に拠る |
1932年 | |
海ゆかば敷衍曲 (合唱附管絃楽) |
東京音楽学校第百回定期演奏会(1943年5月22日) | |
歌曲 | 病める薔薇(さうび) (三木露風作詞) |
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すたれたる園のみどりに (北原白秋作詞) |
1919年 | |
鴬(西條八十作詞) | 1922年 | |
春の散歩(町田有史作詞) | 『音楽教育研究』第2巻第2号 1940年 | |
野うばら(町田有史作詞) | 『音楽教育研究』第2巻第6号 1940年 | |
山杜鵑 (石川啄木作詞) | 『国民歌謡第41輯』 (日本放送出版協会 1939年刊) |
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潮音(島崎藤村作詞) | 『国民歌謡第45輯』 (日本放送出版協会 1939年刊) |
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童謡 | 月のフートボール (野村清三作詞) |
『赤い鳥』第4巻第6号(1920年6月) ※「赤い鳥」曲譜集その13 |
唱歌 | つみ木 | 『新訂尋常小学唱歌』(1932年) 第一学年用 |
竹の子 | 同 第二学年用 | |
夏休 | 同 第三学年用 | |
波 | 同 第三学年用 | |
私のうち | 同 第三学年用 | |
藤 | 『新訂高等小学唱歌』(1935年) 第一学年用 |
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村時雨 | 同 第一学年用 | |
春の訪れ | 同 第一学年用 | |
送別の歌 | 同 第一学年用 | |
小鳥よ | 同 第二学年用 | |
夏の暁 | 同 第二学年用 | |
実のりの秋 | 同 第二学年用 | |
渡り鳥 | 同 第二学年用 | |
若き我等 | 同 第三学年用 | |
暁の調べ | 同 第三学年用 | |
福原遷都 | 同 第三学年用 | |
月夜の田園 | 同 第三学年用 | |
新島守 | 同 第三学年用 | |
海洋の日本(桃井京次作詞) |
『新定中学音楽教科書』下巻(大阪開成館 1934年)教師用伴奏譜 |
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小春三景(江南文三作詞) | 『新定中学音楽教科書』下巻(大阪開成館 1934年)教師用伴奏譜 | |
アテネの懐古(桃井京次作詞) | 『日本学生歌』(大阪開成館 1936年) | |
霜月(田中冬二作詞) | 『師範音楽』(1943年) | |
校歌 | 多肥小学校校歌 (佐々木章作詞) |
香川県高松市立 ※楽譜未確認 |
中野小屋中学校校歌 (種岡忠次郎作詞) |
新潟県新潟市立 | |
萩荘小学校校歌(菊地実作詞) | 岩手県一関市立 ※旧校歌(1962年制定) | |
曳舟中学校校歌 (藪田義雄作詞) |
東京都墨田区立 ※廃校 | |
北海道稚内高等学校校歌 (藪田義雄作詞) |
北海道稚内市 | |
編曲 | あやつり人形(管弦楽編曲) | 信時潔作曲 |
小学唱歌「月」を主題とせる変奏曲 (管弦楽編曲) |
信時潔作曲 | |
かどでの朝(ピアノ三重奏) | 信時潔作曲「国民合唱」 1942年9月8日-19日放送 |
|
日本のあさあけ (管弦楽編曲) |
信時潔作曲 (平和条約発効並びに憲法施行五周年記念式典歌) |
益子九郎 執筆
1923年 2月 |
『音楽研究』 (音楽研究社) 創刊号 |
最近作曲批評 ポエムノクチュルヌ(近藤柏次郎氏)(詩と音 楽 創刊号) 病める薔薇(山田耕作氏)(同誌) 黙祷(鈴木賢之進氏)(葡萄樹 創刊号) 六騎(山田耕作氏)(詩と音楽 十月号) ふなうた(近衛秀麿氏)(同誌) ノクチュルヌ(松島彜子氏)(同誌) 狸橋、かやの木山(山田耕作氏)(詩と音楽 十一月号) 蟹味噌(山田耕作氏)(同誌) |
1923年 6月 |
『音楽研究』 (音楽研究社) 第1巻第5号 |
海内楽壇 東京スイムフオニー・オーケストラ第三回演奏会 (五月十七日於帝国ホテル) 東京音楽学校春季演奏会 (五月十九・二十日於東京音楽学校) |