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2009年8月12日 00時00分

「海道東征」パート譜の謎 4. 藤田由之先生と資料を確認

夏の午後、東京藝術大学附属図書館を訪ねました。事前に閲覧したい資料についてお願いして用意していたので、貴重資料閲覧コーナーで、すぐに実物に対面できました。

今回問題にしているのは、パート譜の袋に入っているもののうち、
  資料1. Kleine Besetzungと書かれた3パートのスコア
       (ホルンIII、 トランペット I と II、 トロンボーン I と II)
  資料2. 1のスコアのうち ホルンIII、トロンボーン I および II のパート譜
  資料3. コントラバス、ファゴット II のための 「Note」
  資料4. 五線紙に書かれたメモ (パート譜作成などについてのメモ書)

の四つの資料です。

まずは資料1を見ていきます。
資料を見るなり、藤田先生は「書いたのは私です」と。パート譜(資料2)もご自身で書かれたものだそうです。戦後の再演なので、出版された共益商社書店のスコアを使用していたことでしょう。そこで、今回は先ごろ作成した「海道東征」の研究用複製版を持参して、Kleine Besetzung の譜にある各パートの音と見比べていきました。 

まず第一章「高千穂」。T.11(第11小節)(p.2)のトランペット II は、原譜(ここでは共益商社書店のフルスコアを指します。以下同様。)では Aですが、Eになっています。これはホルンIVの音を持って来ているのだそうです。

第三章「御船出」のT.7(p.25)のトロンボーン I の A の音は、ファゴットの I が吹き(原譜では休符)、トロンボーン I, II が原譜のトロンボーン II, III の音を吹いています。 T.28から30(p.28)では、4本のホルンの和声を、ホルン3本に収めています。 原譜のT.48(p.30)のホルン IV の音はファゴットに吹かせています。 このようなケースでは、ファゴットのパート譜は改めて作られていないので、昭和15年初演以来のファゴットパート譜に書き込まれていました。同様に資料2のパート譜が無い楽器の音の訂正は、初演以来のパート譜中に色鉛筆やペンで書き入れたり、時には五線紙を切ったものに書かれてセロテープで貼ってあったりします。

資料3を見ていくと、第一章「高千穂」のT.13~14で、コントラバスが低い D を弾いています。これは、原譜のコントラファゴットの旋律(p.2)をコントラバスに弾かせたもので、五弦のコントラバスを持っていて、それを使ったのだろうとのこと。(四弦のコントラバスの最低音はE)

ほかにもイングリッシュホルンの音はクラリネットに入れるなどの対処がとられていました。

つまり、資料1~4の楽譜では、原譜のホルンを1本減らす(IVを省く)、トロンボーンを1本減らす(IIIを省く)、イングリッシュホルンを省く、コントラファゴットを省く。そのために、和声的に不足が無いようにそれらの音をほかのパートに振り分けてある、というのが、藤田先生のご判断でした。

今でこそ、演奏家はたくさんいますが、当時は吹き手が少なかった。「この手の職人芸ができないとショーバイできなかったですから」と藤田先生。

資料4のメモ書きに

Make new parts      
3rd Horn,  1st Trombone, 2nd Tronbone.
 Must change notes
1st Oboe, 2nd Oboe, 1st  Clarinet,  2nd Clarinet, 1st Bassoon, 2nd Bassoon, 1st Horn, 2nd Horn, 2nd Trumpet,  C. Bassi
 Celli only 1 place


とあるのは、この編曲の結果の処理の指示です。

パート譜の中には「Art University Tokyo」と名の入った五線紙があるので、戦後芸大関係の演奏に使われた別のものか?と一瞬思いましたが、藤田先生に確認すると「芸大の売店で買ったもの」とのこと。なるほどそれも有り得る、と納得。

「海道東征」の放送用録音のために、このような楽器編成にする必要があったインペリアル・フィルハーモニーとは、ABC交響楽団の約8割の人が移って結成されたもので、その後、そのメンバーの多くは読売交響楽団結成に向かっていきます。詳しくは木村重雄著「現代日本のオーケストラ : 歴史と作品」に書かれている、とのこと。(ということは木村重雄の記述内容が藤田先生のお墨付きということになります)

この「海道東征」編曲・・・というか、オーケストラの人員に合わせた書き換え・・・は、藤田先生が行ったことは確認されました。

それでは、このお仕事をされた藤田先生はその練習や演奏当日に立ち会わなかったのでしょうか?
藤田先生は、しばらく考え込まれた様子でしたが、やはり記憶は無い、と。ちょうど読売交響楽団結成準備に奔走していた頃で、大変忙しかったようです。読売交響楽団の発足は、この録音の4ヵ月後の1962年4月です。

今回の調査に、藤田先生にご一緒いただく前には、このような些細なこだわりに、先生をお呼びたてして良いものか、と躊躇しました。しかし本当に熱心に楽譜を見てくださり、スコアの読み方も怪しい私に、丁寧に解説してくださって、本当にありがたいことでした。

実は、私がこの「Bearbeited」とある楽譜を見つけたときに、ほとんどこれしかオーケストラ曲を書かなかった信時の拙い曲を、まともに響くように直したのかもしれない、と思いました。大規模な作品はなく、歌曲、合唱曲、ピアノ独奏曲を書いていた作曲家です。もしかしたら、後の世代から見れば、管弦楽作品として、マズイところがあったのではないか。この楽器にこれを吹かせるのはおかしいとか、この楽器はこのようには普通は使わないとか。それを、より良い管弦楽曲に「Bearbeited=書き直した」のではないかと思ったのです。しかし、今回の藤田先生からは、そのような言葉は一切出ませんでした。(思っても云わない、思っても書き直しはしない、ということかもしれませんが。)原曲に敬意を払い、原曲の響き(和声)を損なわないように、今回演奏するオーケストラで演奏可能なように、編曲されたものだったようです。

資料の閲覧を終えて、藤田先生が学生時代からよく知っているというキャッスル(芸大音楽学部の食堂)で、しばし音楽界、オーケストラ、芸大学生時代の話などを聞かせていただきました。帰りは、暑いのでタクシーで駅まで、と申し上げたら、「いえ、私は歩きます」とキッパリ仰った先生。私の父よりわずかに年上でいらっしゃいますが、今も頻繁に大阪でのお仕事に往復されるほどお元気なのは、車を使わずに、とにかく歩くからだそうです。なおお元気でご活躍くださるよう、願うばかりです。

 (この項終わり)