戸ノ下達也/国分寺で信時潔を考えるということ

2010年10月11日
コンサート(於:国分寺市立いずみホール)プログラムより

国分寺で信時潔を考えるということ

戸ノ下達也

2012年に生誕125年を迎える信時潔は、同時代を生きた山田耕筰とともに、西洋音楽の創作活動の先駆者であった。また信時は、母校・東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)での後進育成という教育者としても活躍し、その系譜は脈々と現在に受け継がれている。しかし、信時の功績は必ずしも周知の事実となっているわけではない。

私には、特にクラシック音楽の領域では、自国の音楽文化のいとなみや歴史についてあまりにも無関心であるように感じられる。身近な音楽文化のいとなみを捉え直し、理解することの重要性を改めて指摘したい。1860年代に、軍隊や国民の「規律化」「制度化」のために本格的に導入された西洋音楽が、今日では「娯楽」「教養」「慰安」として私達の生活に息づいている。どのような社会状況の中で西洋音楽が「日常化」したのか、その歩みを歴史に位置づけ考えなければならない。そのためには、日本の作曲や演奏の歴史を、音楽家や研究者が自らの問題として認識すべきである。ソプラノの藍川由美、テノールの五郎部俊朗や畑儀文、宇野功芳率いる女声合唱アンサンブル・フィオレッティ、合唱指揮者・栗山文昭と彼の指揮する合唱団の連合体である栗友会と21世紀の合唱を考える会・合唱人集団「音楽樹」、ピアノの花岡千春や堀江まり子、白石光隆、アマチュアながら果敢に活動しているオーケストラ・ニッポニカなどの演奏家の活動は、日本の音楽の歩みを多角的に考察する意義深いものといえる。今日の演奏会で地元デビューを飾る村越大春にもこのような視点での活躍を大いに期待したい。また昨年に続き演奏する豊嶋めぐみが、今回はどのような祈りの音色を奏でてくれるか楽しみである。

国分寺は信時潔が住んだ街であり、市内の小学校4校、中学校2校の校歌も作曲している。私は、校歌を大切に歌い継いでいくことも重要であるが、さらに戦前から戦後にわたり信時の作曲した声楽曲や合唱曲、器楽曲などを再演し、西洋音楽の開拓者である地域の先達を歴史に位置付け、信時の追及した音楽を現在の視点から改めて捉え直すべきと考えている。一点付言するなら、音楽家・信時潔を《海ゆかば》と《海道東征》だけで位置付けてはならない。信時の音楽活動の本質は、ヨーロッパ、特に彼の留学したドイツ音楽を、日本や中国の古典文学に融合させることであり、それは生涯にわたり一貫して不変であった。「日本古謡より」の作品群に見られる後期ロマン派の影響が色濃い和声の実験、また信時自身が大いに意識していたであろうバルトークを髣髴させるような、戦後の《東北民謡集》に見られる日本民謡へのこだわりなど、彼の戦前から戦後に継続する創作活動や教育活動を見通して多角的に考察し、初めて信時潔の実像に迫ることができる。

本多公民館主催の「信時潔」事業が継続開催されていることは、地域から音楽家を捉え直す画期的な企画である。かたや、いずみホールなどで継続開催されている「信時潔コンサート」は、市民の自主企画として続いている。本多公民館の地域事業が、市民の自主企画と結びつき、さらに若い世代も加わって国分寺市全域に輪を広げ、地域で広く音楽家・信時潔を再評価し、後世に語り継いでいく機会に発展できれば、実にすばらしいことであると夢想している。その際は、是非作曲家が作曲した原典通りの演奏で信時潔を再考し、その意義を考えてみたい。これから信時潔の本質に迫る演奏会や研究が、多くの市民の皆さんと共に実現して地域に根付き、広がっていくことをひそかに期待している。


戸ノ下達也氏よりデータ提供、
および掲載許諾をいただきました。
ありがとうございました。
信時裕子