信時潔が「音楽」に進んだ理由1
2016年6月26日 12時42分信時潔が、市岡中学から東京音楽学校を受験した理由、あるいはそのきっかけについて、いろいろな書き方がありますが、今日はこんなものを見つけました。
「音楽家になるか、画家になるか、迷いぬいたが、やっと東京音楽学校の試験が先にあったので受験した」
(『朝日新聞』1964年5月11日 夕刊 新・人国記570 大阪府 前編(24) 海ゆかば)
この記事は、新聞記者が取材して書いたものですが、記事中の「短歌の作曲を「ずいぶんしつこく」百曲ほどもやってみたが、一首だけの場合気に入ったものができても音楽としては短すぎ、数首の連作は成功しにくかったという」などの表現があり、直接本人=信時潔に取材して書いたものだろうと、想像できます。
絵に進むか、音楽に進むか、をどうやって選んだか、について、確かほかの書き方をしたものがあったので、順に確認していけたらと思います。