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No-b-log の・ぶ・ろぐ過去記事

2009年3月5日 00時00分

東京交声楽団 その1

昨日紹介した郡修彦さん執筆の記事を読み返して、制作途中の郡さんとのやりとりをあれこれ思い出しました。文中に、DISC 2 の東京交声楽団演奏作品は「信時女史の希望で収録した」(p.27)、「戦時中ビクターから3枚1組で発売された東京交声楽団の全曲収録を信時女史が希望されたので」(p.32)とあり、「そうだったかなあ・・・」と少々不安になったのですが。それほど熱心に推したつもりはないのですが、郡さんにそう受け取られるほど、東京交声楽団の録音にこだわりたい理由があったのです。

実際、東京交声楽団の録音がどのくらい残されているのか、一般の方が聞けるのか、私はよく知りません。
しかし、昭和18年9月新譜「信時潔合唱傑作集」(よくもまあ、そんな時期に合唱傑作集が編纂されたものです)が復刻されることは、この機会を逃してありえないだろうというのが、今回是非という思いにつながりました。

実は私は、この仕事にとりかかる前には、「東京交声楽団」というのが、ナニモノか、全く知りませんでした。

企画のごく初期に、収録曲目の案を練っていた頃、東京交声楽団(木下保指揮)の「御稜威いただき」だけが入っていました。「あかがり」「いろはうた」などは、既に東京音楽学校等の録音が候補に上がっていたため、収録原案には上っていませんでした。

「東京交声楽団」がどういう団体なのか、少し調べ始めたら、なにか捨て置けない気がしてきたのです。

信時潔は、ヨーロッパで、たとえば師ゲオルク・シューマンが、手兵の合唱団に自作を歌わせていたように、日本人が日本語で合唱曲を歌って欲しくて、東京音楽学校でそれを実現したのです。
それが、東京音楽学校で演奏された、あかがり 深山には いろはうた 紀の国の歌 桜花の歌 といった合唱曲でした。学生時代に学内外の演奏会でそれらを歌い、研究科時代には「海道東征」のソリストとなり、その後東京交声楽団のメンバーとして活動した人がとても多いのです。それを指導したのは木下保。いわば信時音楽の一つの流れとなっているような気がします。一方で木下保は、ソリストとして信時作品の独唱会を開き(昭和17年)、戦後は合唱指揮、そして晩年には合唱曲「沙羅」の普及に尽くしました。

 一方、この仕事が始まる少し前のことでしたが、昭和音楽大学小原コレクション(小原敬司撮影)に信時潔の写真はどのようなものがあるかを調べていただいたことがありました。その時に、東京交声楽団のメンバーと信時潔、木下保が写った写真があることがわかりました。その写真を改めて見直したところ―これがこの小原コレクションの素晴らしさなのですが―集合写真中のわかる限りのメンバーの名前が列記されていたのです。

 (つづく)