東京交声楽団 その2
昭和音楽大学小原コレクション(小原敬司撮影)に保管されていた「東京交声楽団」の写真は、『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 の解説書p.36の右下に載っています。
同コレクションの記録によると、この写真は1943年12月22日の演奏会(日本青年館)の折の記念写真。撮影者は小原敬司。
前列左から4人目 朝倉(のち中山)靖子、下總皖一、木下保、信時潔、千葉(のち川崎)靜子、佐々木成子、一人置いて多田光子。
二列目左から2人目 山口和子、平田黎子、2人置いて奥田智重子、柴田睦陸、鷲崎良三、青木博子、戸田敏子、藤井典明。
三列目左から 前田幸市郎、1人置いて村尾護郎、3人置いて酒井弘、1人置いて栗本正、秋元清一(のち雅一朗)、畑中良輔、高木清。
まさに、その後の日本の音楽界をリードしていった人たちばかりです。
それにしても、東京交声楽団とはどんな集まりだったのか。
最初の手がかりは 小関康幸さんのホームページhttp://www.ne.jp/asahi/yasuyuki/koseki/index.htmに掲載がある『音楽公論』の記事でした。これは戦時中の情報。
一方、日本近代音楽館所蔵の演奏会プログラムに、戦後の「東京交声楽団」関係のプログラムが数点ありました。1960年の「東京交声楽団定期演奏会」のプログラムには、「東声(東京交声楽団の略称)は、戦前上野の杜で三宅春恵、川崎靜子、柴田睦陸、中山悌一氏等の諸先輩が集まり、研究会を作っておられた当時の名称でありまして、戦後一時中断の形でおりましたところ、須賀靖元、畑中良輔氏等の先輩が発起人となられ、私達27,8名で新発足をしたものであります。その後団員は入替りをいたしましたが、現在指導者になられて二期会、藤原歌劇団、芸大、その他各界で活躍をなされている方達が多数居られます」(柳力「"東声"のこと」)とあります。
畑中先生には、2006年の信時潔没後40周年記念演奏会などでお世話になったことがありました。ここでもう少し事情を聞いておかなければ・・・・と、先生に手紙でお尋ねすることにしたのです。勇気を出して手紙を書いたのは、2007年8月。先生のご多忙ぶりは存じ上げていたので、このようなことを伺っても対応が難しいかもしれない・・・とあきらめかけていたところ、9月のある日曜日、なんと先生自らお電話を下さったのでした。
------この頃はまだ、先生にCD『信時潔作品集成』の序文をいただくことなど話にも出ていませんでした。
(つづく)