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No-b-log の・ぶ・ろぐ過去記事

2009年7月6日 00時00分

「海道東征」の手書きスコアが盛岡に? (其の5)

先にも書いたとおり、潔による自筆譜と、ミイによる筆写譜は、大抵はざっと見ればどちらかわかります。ただし、潔が「よそ行き」に清書した、丁寧に書いた譜と、ミイの筆写譜はとても似ていることがあるのです。

それでも、いくつか違いを確認するポイントがあります。ト音記号のクセ(潔は細長く、ミイは上の丸がやや大きく右側に飛び出す)、音符の書き方(潔は四分音符などの黒丸も細いことが多く、ミイは丸い)、特に八分音符の符尾のクセ(下に伸びる8分音符単音の、潔の符尾は直線的、ミイは曲線的)、そのほかひらがなの特徴、署名も結構参考になります。

今まで漠然と思っていたそのようなことを、今回閲覧に立ち合っていただいた木村直弘先生と話しながら、自分でも確認しつつ、「信時家に残っていた自筆スコア」(今回はコピーを持参)と「岩手大学のスコア」を見比べていきました。すると、なんと信時家の自筆スコアの不自然さ――自筆譜か筆写譜か判断がつかなかった――その原因がわかりました。

フルスコアの、楽譜中の歌詞(テキスト)の文字の筆跡はミイです。ソロ及び合唱のヴォーカル部分は、楽譜もミイによるものです。それに対して、声以外の、楽器の部分の楽譜は潔の筆跡だったのです。同じスコアを二人が、縦割り(小節線)ではなく横割り(パートごと)で分担していたのです。

譜を見ていると、潔の自筆譜(それもよそ行きに清書した風の筆跡)なのに、歌詞に目が行くと、ミイの字に見えるような気がしてくる。これは自筆譜と言っていいのか・・・という長年の疑問が、こうして解けました。

筆跡の謎が解けたあとに、疑問点として残っていること。それは、なぜ、この手書きスコアが「岩手」で見つかったのかという点です。 


(つづく)