「海道東征」の手書きスコアが盛岡に? (其の6)
岩手大学所蔵の「海道東征」の手書きスコアは、信時潔の妻ミイが筆写したものであり、初演以前の歌詞やタイトルの訂正などもある、極めて初期の総譜である。 訂正や演奏用の書き込み、初演時の演奏者名の書き込みなどは他筆だが、一部に作曲者が書き入れたらしい訂正加筆部分もある。「財団法人日本文化中央聯盟之印」があることから、おそらく作曲者が、委嘱団体「財団法人日本文化中央聯盟」に納めたスコアだとおもわれる。なお、同じ印があるパート譜は東京芸術大学附属図書館に保管されているが、そこにはスコアは残っていない。
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以上が、岩手大学で実物を確認した上で、明らかになったことです。
「財団法人日本文化中央聯盟之印」が押印された頃には、おそらく一緒に保管されていたであろう「スコア」と「パート譜」が、何故別の場所に、岩手大学(スコア)と東京藝術大学附属図書館(パート譜)に、保存されていたのでしょうか。
「海道東征」は、昭和15年11月の初演以後、各地で演奏されています。管絃楽スコアは、昭和18年に出版されましたが、コピー機の無い時代のこと、パート譜は初演時の一式しかなく、演奏のたびに各地を――日本全国のみならず、満洲までも――渡っていたものと思われます。主な演奏団体だった東京音楽学校に、そのパート譜は残され、かといって一般資料と同じに登録されたわけではなく、書庫の奥深くに保管されていました。
では、スコアは何故、上野の杜からはるか遠く、岩手で見つかったのでしょうか。 先にも触れたように、岩手大学に収められたのは、比較的最近のことで、元は岩手県一関市に住んでいた方が、疎開してきた荷物のなかから見つけたもので、廻り廻って岩手大学にたどり着いたとのことでした。
実は、ひとつだけ気になるエピソードがありました。昭和18年に共益商社書店より、「海道東征」の管絃楽スコアが出版されています。その出版準備中に、楽譜が無くなってしまったことがあった、出版社のお使いの人が、代わりの楽譜を借りに来た、というような話が、信時家に「わずかに」伝えられていたのです。それを伝え聞いた人も、当時は子供だったので確かな記憶・情報とは言えないし、そのことで誰かを責めるとか、責任を問うようなことになってもいけないので、公にはしていませんでした。
紛失なのか、盗難なのか・・・何があったのかはわかりませんが、何かよろしくないことがあったとしても、60年も過ぎればどう考えても時効です。何よりも、捨てられず、焼かれず、戦災にも火災にも遭わず、作曲・初演・出版された東京からはるか離れた岩手の地で大切に保管されていたことに、感謝するしかありません。
「大切に受け継いできてくださったみなさま、どうもありがとうございます。」
今回は、わずか半日の閲覧で、詳細な検討を尽くすことはできませんでしたが、楽譜の所在の確認と、概要の把握はできました。今後の研究・検討用に出版譜の複製も整いました。 録音も、現在では複数入手できるようになっています。
材料は揃いつつあります。今後更なる研究が進むことを期待して、この項を終わりたいと思います。
(完)