「海道東征」パート譜の謎1 テューバ・パート譜
東京藝術大学附属図書館には、「海道東征」のパート譜が保管されています。これは、初演者だった同大学(元・東京音楽学校)が大切に保管してきたもので、通常の図書館資料のようにカード目録やOPACでは検索できないため、あまりその存在が知られていなかったようです。
(注・特殊な資料ですので閲覧・利用希望の際は事前に図書館にお問い合わせください)
そのパート譜は、以前こちらに書いたスコア(現在岩手大学で保管されている手書きスコア)と同様に、「財団法人日本文化中央聯盟」の印があるものです。この印があるということは、初演の時に作られたものであることは確実です。以後、上演のたびに使われてきたもので、演奏のための書き込みは勿論、中には上演した日付や演奏した人のサインがあるものもあります。
パート譜一式の中で、少し様子が違っているのは、Bass Tubaで、ほかのパートのような「財団法人日本文化中央聯盟」印がありません。楽譜の末尾には「2602.7.13 K.Oishi」(Oの上に伸ばす印の-)とあり、テューバの大石清氏とわかりました。そこで、『大石清の助手席人生 テューバかかえて』 (音楽之友社)という本を確認してみたところ、「音楽学校へ入学し、国内各地はもちろん、満洲演奏旅行でも毎回も演奏した。軍隊へ入るまでの在学中の演奏曲はほとんどこの「海道東征」一曲だけのような印象が強い。」という記述がありました。大石氏は昭和17年4月、東京音楽学校に「入学したもののテューバの先生はいない、まともな楽器もない、教則本も楽譜もない」状態だったとのこと。当然信時潔作曲「海道東征」にもテューバパートはありませんでしたが、大石氏入学を機に、テューバパートが加わったようです。同書には「当然楽譜もないので、編曲をしなければならない、この時、岩井と萩原の力量が発揮された」という記述があり、「海道東征」もそうだったとすれば、同級の岩井直溥(当時ホルン専攻)、萩原哲晶(当時クラリネット専攻)両氏の協力もあったようです。
芸大所蔵のパート譜は、このBass Tubaパート譜を含めて、一式として揃っているのですが、実は、それらとは別の楽譜、戦後上演された時のパート譜が一緒に保管されていました。 とくにこの点について、ぜひ確認しておきたいと思っていたところ、偶然思いがけないヒント&チャンスが訪れて、7月のある日、ふたたび芸大図書館を訪ねたのでした。 (つづく)