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No-b-log の・ぶ・ろぐ過去記事

2014年5月5日 00時00分

「海ゆかば」ピアノ伴奏と「AK文芸部編曲」

信時潔が作曲したのは「海ゆかば」の「旋律だけで伴奏は他人の手」とか、伴奏は「AK文芸部編曲」というような記事をいくつか見かけるので、そんなはずはない、と気になっていました。

信時潔は、確かに旋律を先に書き留めることはありますが、必ずピアノ伴奏をつけて作曲していることが、多くの自筆譜を見るとわかります。おそらくピアノを弾きながら書き進めていったのではないかと思います。放送局から委嘱をうけて、いくら急いでいてもピアノ伴奏なしで、旋律だけで渡すことは、まず考えられません。時事歌の類で、放送用のアレンジを他の方が担当している例はいくつかありますが、その場合もピアノ伴奏は自身で書いています。

 
藍川由美さんのこのCD『ほんとうの唱歌史「海ゆかば」~』 ライナーの表紙写真にも映っている楽譜『ラヂオ・テキスト 國民唱歌 第一輯』(写真の左側)に収録されている「海ゆかば」にヒントがありました。

『ラヂオ・テキスト 國民唱歌 第一輯』は日本放送出版協会、昭和13年2月28日発行。
楽譜キャプション(楽譜第1ページの見出し)は「大伴氏言立、信時潔作曲」と書かれています。


ところが楽譜末尾の別掲歌詞には「AK文芸部編曲」と書かれているのです。


楽譜を見比べると「信時潔作曲」と書かれた初版譜(教育資料会 昭和12年11月15日発行)と同じで、AK文芸部が新たな編曲をしたものではない、と言ってよいでしょう。
信時潔作曲「海ゆかば」の成立、放送当時の事情については、竹山昭子著『太平洋戦争下 その時ラジオは』(朝日新聞出版 2013)に詳しくまとめられています。


この本のp.218-220の表で、初演は昭和12年10月13日午前8時台の「海ゆかば」と読み取れますが、番組確定表で確認したところ、この放送は中止になったらしく、その日の午後7時30分からの枠(実際は午後7時50分から53分。「洋楽放送記録」による)の「ヴォーカルフォア男声合唱団 伴奏AKアンサンブル」が初放送とみてよさそうです。(※このことは郡修彦著「昭和の『海行かば』」(CD「復刻盤 海ゆかば集」(二〇〇五海行かば集製作委員会企画・制作)解説)でも指摘されています)

この「伴奏AKアンサンブル」の伴奏編曲が「AK文芸部」だろうというのが私の考えです。室内楽、あるいは小管弦楽伴奏のようなアレンジをしたのではないでしょうか。

それを誤って「海ゆかば=信時潔作曲、AK文芸部編曲」とセットになって記録されてしまって、番組確定表や『ラヂオ・テキスト 国民唱歌 第一輯』などでは、信時潔自身によるピアノ伴奏版までも、そのように記載されてしまったのではないでしょうか。

ちなみに、上記の『ラヂオ・テキスト 國民唱歌 第一輯』より前に出版された下記の楽譜、信時自身が強く関わったであろう版には「AK文芸部編曲」の情報はありません。

『海ゆかば:(放送歌曲)』教育資料会 昭和12年11月15日発行(わかもと本舗栄養と育児の会が頒布、非売品)
『海行かば 独唱或は斉唱及単声三部合唱』共益商社書店 昭和13年1月17日発行(共益ボーカル楽譜 No.598)

『海行かば 独唱或は斉唱及混声四部合唱』共益商社書店 昭和13年1月17日発行(共益ボーカル楽譜 No.709)
  
  *藍川CD写真の中央にある「海行かば」は2つの共益版のどちらかと思われます。
 

 なお、『片山杜秀の本(2) 音盤博物誌』 で「信時はその[=海ゆかば]譜面をメロディしか書いていない。ピアノ伴奏は他人の手だ」と書いていらした片山杜秀先生に慶應義塾塾歌に関する座談会でお目にかかった折に、このようなことをお話ししたところ、「それは存じませんでした、AK文芸部編曲と書いてあったので」とのことでした。

                    ※2014年5月6日 14:45 一部修正しました