九州歯科大学合唱団コール・エルフェンバインが「海道東征」上演
新年あけましておめでとうございます。
新年早々、「海道東征」関連のメールが複数飛び込み、「今年は海道東征の年」の予感がいっぱいです。
その一つが、九州での上演報告のメールでした。
2013.12.22.
Bar、Bass木村貞仁
上演&お知らせ、ありがとうございました。
Kiyoshi Nobutoki - English page
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以下の情報は、各ページのデータベース検索窓でも検索できます。
主要作品(独唱曲、合唱曲、器楽曲)、信時潔著作・執筆(単行書、執筆・座談会等)、校歌・社歌・団体歌、
入手可能な楽譜・CD/DVD、演奏会・イベント情報、関係文献目録、海道東征上演歴
No-b-log の・ぶ・ろぐ http://noblogblog.blog.shinobi.jp/で過去に掲載していた記事を、このサイト内に移行・アーカイヴしました。(但し、国内のゆかりの地を訪ねるシリーズは、こちら)可能なものはURLの変更や、訂正も入れています。
新年あけましておめでとうございます。
新年早々、「海道東征」関連のメールが複数飛び込み、「今年は海道東征の年」の予感がいっぱいです。
その一つが、九州での上演報告のメールでした。
2013.12.22.
しばらく在庫がなかったオーケストラ・ニッポニカ演奏のCD
「海道東征」ですが、 ミッテンヴァルトの新しいプレスが
できたそうです。
http://homepage3.nifty.com/mittenwald/mtwdcd/cd-nipponica2.html
ミッテンヴァルト のページ
(注文方法もこちらに書いてあります)
http://homepage3.nifty.com/mittenwald/
このたび発売となったCD『日本のピアノ変奏曲選~伊澤修二から大中恩まで』に、信時潔作曲「小学唱歌『月』の主題による10の変奏曲」が収録されています。
ピアノ演奏は秦はるひ。
発売元はミッテンヴァルトです。
http://homepage3.nifty.com/mittenwald/
信時潔作曲「絃楽四部合奏」の楽譜を出版しました。
作曲からおよそ90年を経て、初めての出版です。
この作品は、1920年~1922年のベルリン留学中に作曲され、
妻・ミイによる浄書譜が残されていたことから、
これまでに数回演奏されましたが、楽譜が出版されたことはありませんでした。
今年6月のセントラル愛知交響楽団による演奏を機に、指揮者の齋藤一郎先生、
セントラル愛知交響楽団、そして同公演のパート譜作成を担当された
楽譜作成工房「ひなあられ」の岡崎隆さんにご理解、ご協力いただき、
楽譜刊行に至りました。
現在確認できる各種資料を比較検討した校訂報告(4ページ)を付けています。
―――――――――――
信時潔作曲『絃楽四部合奏』
発 行: JKStairS
発行日: 2013年10月20日
※ 企画・校訂: 信時裕子
楽譜制作:楽譜作成工房「ひなあられ」
(全32ページ) 演奏時間 約11分
―――――――――――
楽譜店では、アカデミア・ミュージック
https://www.academia-music.com/
が扱っています。【限定50部】
追記2029年9月
パート譜(レンタル)のご相談はお問い合わせページからお寄せください。
今は、YouTube などでも、信時作品はいろいろ聴けるようですが。
なかでも、大正時代に作られた作品が現代に生きているってことかなあ、と感心したのが、この「あかがり」です。
素晴らしい!
【KAITO】あかがり
http://youtu.be/UQwyEtzRgSQ
放送された「国民合唱」や「海ゆかば」について、当時の新聞、「放送研究」「放送人」を始めとする雑誌、書籍や証言を集め、整理し、分析した単行本、竹山昭子著『太平洋戦争下 その時ラジオは』( 朝日新聞出版)が、「週刊読書人」2013年9月27日号に取り上げられました。
碓井広義・評「放送のもつ意味と意義、危うさも次代へと伝える」
クラウス・プリングスハイムの生涯を書いた加藤子明著『日本の幻想』(乾元社 1950)の中で、海道東征をどう聴いたのかを示す部分を見つけました。
「この年は、各国参加のもとに行われた国際芸術祭に於ける日本楽壇の名声が、高く上ったのである。クラウスはそれが二つの偉大な作曲によって象徴されたと思った。それは信時潔の教会交声曲(※カンタータ)「海道東征」と、山田耕筰の歌劇「夜明け」である。日本の楽壇は、そのとき模範的な演奏で発表されたこの二曲によって、蓄積した実力を十二分に発揮したのである。それは何れもこの時までの日本楽壇の、輝かしい発展の成果であった。」(p.297)
※「教会交声曲」の横に「カンタータ」のルビが振られています
「沙羅」の第二曲「あづまやの」の歌詞について、問い合わせがありました。
以前にも、同じ問い合わせをいただいているので、
本家ウェブサイト「信時潔研究ガイド」の雑記帳に記録しました。
複数の資料を調べた結果、「さみだれを」ではなく「さみだれに」で良いのではないか、
というのが、私の結論です。
詳細は
http://home.netyou.jp/ff/nobu/page089.html#lcn032
雑記帳(Q&Aなど)の No.31をご覧ください。 (URL訂正 2021年9月)
この秋、信時潔の自筆譜が2点、展覧会に出品されます。
「大礼奉祝合唱歌」出品
東京藝術大学附属図書館貴重資料展 高野辰之展 唱歌「ふるさと」の原点をたずねて
https://nobutoki.com/plugin/databases/detail/25/54/1972#frame-54
「海ゆかば」出品
五線譜に描いた夢 -日本近代音楽の150年」展
https://nobutoki.com/plugin/databases/detail/25/54/1974#frame-54
(URL訂正 2021年9月)
野村胡堂記念館訪問記の続きです。
訪問した当日は、SPレコードコンサートが開かれる日でした。
資料の閲覧を終えて、展示室方面に戻ると、お客様が集まり始めていました。
思いのほか「大きな駐車場」(第二駐車場まである)の理由は、このレコードコンサートお客様、それも常連さんがかなり集まるため、だったようです。
地域の偉人を顕彰した記念館で展示するだけでは、そうそう繰り返し訪ねる人はいないでしょう。 それだけではなく、独特の味わいのある蓄音機、SPレコードを聴きに集まる方がいらっしゃるのでした。
今日のプログラムは「メニューイン」。バッハやモーツァルトの協奏曲を中心に約2時間。解説・講演する侘美淳教育長は、岩手大学卒業後音楽の教師、中学校長などを歴任し、紫波町の教育長となられた方だそうです。
入場料はコーヒー代の200円。大体毎月1回行われているようで、7月は第217回でした。
私は残念ながら、この日は時間がなくて、午後2時からのレコードコンサートは聴くことができないと諦めていたところ、館長自らが特別に レコードをかけて聴かせてくださいました。
SP音源復刻・・・といった仕事をしましたが、実はホンモノの蓄音機で聴く機会はあまりありませんでした。
独特の響き。正面で聴くと意外と音が大きいのに驚きました。パチパチ音はするものの、それを超えるアナログの魅力、蓄音機の魅力を語る人の気持ちがわかりました。
「針を通せば必ず盤は傷むのだけれど、レコードを持っていたって聴かなければしょうがない」と館長・野村さんが仰ったのが印象的でした。
受付横の販売コーナーには、『野村胡堂・あらえびす来簡集 : 明治・大正・昭和を彩る交友録』『野村胡堂・あらえびす関係記事目録と件名索引』など、記念館が発行した図書、目録、記念館の協力で完成した野村胡堂・あらえびす関係書籍などが並び、本当に「良い仕事している」ことが見えました。
音楽好きな方なら、是非一度、訪ねてみることをお勧めします。
バスは一日に2本ですが、「日詰駅」で降りれば、 駅前にタクシー会社あります。
日詰駅からは、車で10分程度です。
野村胡堂・あらえびす記念館
http://kodo-araebisu.jp/
野村胡堂(あらえびす)像を囲んで。
左から、大角欣矢教授、筆者、侘美淳教育長、野村晴一館長、岩手大学・木村直弘教授
7月20,21日に、盛岡を再訪しました。
以前訪ねたことはこのブログの、「海道東征の手書きスコアが盛岡に?」http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/41/
https://nobutoki.com/plugin/blogs/show/52/107/191#frame-107
に書きました。(URL 訂正 2021年9月)
今回は、芸大で進められている「信時潔文庫」の本格的整理に伴い、関係の深い資料の調査ということで、再び岩手大学に「海道東征」を見に行きました。
岩手大学で保管されている「海道東征」の調査結果は、
科学研究費助成事業 http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/127/ として、
まとめていく予定です。
加えて、今回訪ねたのが、盛岡から電車とバス(タクシー)を乗り継いで車で1時間弱の岩手県紫波町にある「野村胡堂あらえびす記念館」。
少し前に、畑中良輔先生の最後の本『荻窪ラプソディー : ブル先生の日々是好日』(音楽之友社)を読んでいて、同館に野村胡堂宛ての書簡が整理・保管されていることがわかったので、信時関係のものが何かあるかと、問い合わせてみました。
さっそくお返事をいただき、野村胡堂宛ではないが、田部井石南宛の書簡が残っている、とのこと。なぜそこにその書簡があるのか、状況はよくわからないのですが、とにかく閲覧に行くことにしました。
岩手県紫波町、田畑や果樹園が連なる地区の山の上に、素敵なデザインの建物と大きな駐車場がありました。(何故そんなに大きいのか、あとで判りました)
展示室を一回りした後に、書簡3通を見せていただいたところ、2通は『信時潔音楽随想集 バッハに非ず』(アルテスパブリッシング)巻末の執筆一覧に掲載した田部井石南(画家)の個展に寄せた文章の元原稿であることがわかりました。
残る1通は、同様のものですが掲載記事は未確認のため、調査中です。
何故、この書簡が野村胡堂記念館にあるのか、それが疑問だったのですが。同館の野村晴一館長(野村胡堂の弟の孫に当たられるそうです)に伺い納得できました。
田部井石南と野村胡堂は、軽井沢の別荘が近く、軽井沢での交友を始めとして生涯親しく行き来していた。田部井氏が、奥様を事故で亡くされた時には、失意の同氏を慰めるために蓄音機とレコードを贈って慰めた。胡堂は田部井石南の絵の才能を認め、絵の道に進むように勧め、支援した・・・ということです。
信時潔とは、話が合ったのか、信時家との交流も深く、家にもよくいらしていたようで、私も家族から「田部井さん」という名前を頻繁に聞いていますし、写真もいくつか残っています。
野村館長のお話を伺うまで胡堂と軽井沢につながりに気づかなかったのですが、もう30年近く前になりますが、軽井沢の田部井氏の別荘にインタビューに伺った折に、野村胡堂の名前が挙がっていたことを思い出しました。
田部井氏のレコードや書簡などの資料が同館に移管されたそうで、書簡の整理はこれから本格的に始まるそうです。
田部井石南(明治31~平成6) 日本画家
大山郁夫に師事、労農党で政治活動を行う。人民戦線事件で拘束。その後、河合玉堂の塾に入って絵の道に進んだ。軽井沢で胡堂に会い、個展や作品の頒布に、胡堂が協力した。
(つづく)
東京藝術大学附属図書館「信時潔文庫」の本格的整理が始まりました。
信時潔に関する基礎的研究──作品・資料目録データベースの作成と主要作品の研究」
→ 科学研究費助成事業データベース
研究期間 2013年4月~2017年3月(予定)
京都大学名誉教授の上田正昭先生が、日本と韓国の古代交流史について
執筆なさるにあたって、信時潔の肖像写真を使いたいという連絡をいただき、
先日、出来上がった本をお届けいただきました。
上田正昭著「古代の日本と百済の文化―善隣友好の象徴」の中の
「朝廷で活躍した百済人」の見出しの下に、
百済王敬福と「海ゆかば」のかかわりが書かれています。
前の記事に書いた共益商社書店「戦時特別品」五線紙。太平洋戦争の「戦時」らしいと書きましたが、訂正します。
昭和11年にはこの五線紙を使用していたので、いわゆる真珠湾攻撃(昭和16年12月)から始まった「太平洋戦争」以前ということになります。
信時潔作曲「大寺の」という合唱曲は、昭和11年11月8日に作曲されたことがわかっています。
その自筆譜が、共益商社書店「戦時特別品」五線紙に書かれていました。
五線紙というのは、書籍や楽譜等出版物の「何年発行」というのと違って、印刷された後の、いつ使っても良い----つまり「戦時特別品」五線紙を使用して昭和16年に作曲することも、平成25年に作曲することも可能---なので使用した年代がわかるものの中で一番古いもの、と絞っていかないといけないところが難しいところです。
今のところ、共益商社書店「戦時特別品」五線紙は、昭和11年以前のもの、ということがわかりました。
より古い使用例が見つかったら、また紹介します。
この記事の続報 → http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/161/
https://nobutoki.com/plugin/blogs/show/52/107/322#frame-107
(2021年9月追記)
共益商社書店の「戦時特別品」と書かれた五線紙があります。
普通に考えれば、「戦時特別品」の「戦時」とは、いわゆる太平洋戦争でしょう。
ところが、この五線紙が使われた時期が、あまり定かでないものが多く、気になっていました。
たとえばおそらく留学中(1920-1922)の作品であろう「絃楽四部合奏」の浄書譜が
この用紙に書かれていて、その時期になぜ浄書しているのか?書き溜めたものを
その時期に浄書始めただけのか?
ちょっと疑問に思っていたところ、某サイトに、戦時とは日露戦争か?、という質問が出ていたので、この「戦時特別品」五線紙が、明治、大正時代のものである可能性もあるのか?!、と気になって調べてみました。
たとえば信時潔の「絃楽四部合奏」のスコア、パートの浄書譜(妻ミイによる浄書)の場合
五線紙には
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(戦時特別品) THE KYOYEKISHOSHA Publishers & Book-Salers, Shiba, Tokyo.
東京芝三田松本町四十四番地 合資会社 共益商社書店
大賣捌所 東京新橋 共益商社
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と印刷されています。 (※注1)
共益商社、共益商社書店については、赤井励著「オルガンの文化史」(青弓社 1995) の
「島崎赤太郎の一生」の項に詳しく書かれています。
共益商社創業者の白井練一(1846-1924)の四女、元(もと 1885-1973)は、島崎赤太郎夫人だそうです。
この情報をもとに、国会図書館デジタル化資料にある共益商社、および共益商社書店等の 名称と所在地を確認してみました。
1 明治17 1884年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764836/16 東京芝区宮本町二十九番地 共益商社
2 明治36 1903年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843750/68 京橋区竹川町十三番地 共益商社
3 明治40 1907年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854810/45 東京市京橋区竹川町十三番地 合資会社 共益商社楽器店
4 明治41 1908年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902580/31 東京市京橋区竹川町十三番地 合資会社 共益商社楽器店
5 明治44 1910年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854747/54 東京市芝区芝公園十八号地五番 合資会社 共益商社書店
6 大正7 1918年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980407/90 東京市芝区松本町四十四番地 合資会社 共益商社書店
7 大正8 1919年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954189/16 京橋区竹川町 共益商社 ※官報. 1919年07月07日 楽器の広告
8 大正13 1924年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/925798/47 東京市芝区松本町四十四番地 共益商社書店
9 昭和13 1938年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461652/154 東京市芝区松本町四十四番地 共益商社書店
つまり、楽器店になった系統の「共益商社」又は「共益商社楽器店」(京橋区竹川町。現在のヤマハ銀座店)【楽器販売系】と、
元は教科書会社で、オルガン普及を手掛けたこともあるが、その楽器部が独立(実際はヤマハが買収)した後も出版事業を継続した「共益商社書店」(芝・松本町)【楽譜出版系】の二つの系統があったようです。
とすると、「絃楽四部合奏」の「戦時特別品」五線紙の場合、
芝松本町の「共益商社書店」 は【楽譜出版系】
大賣捌所 東京新橋 共益商社 は【楽器販売系】
ということなのかもしれません。
今回見た国会図書館デジタル化資料では、「大賣捌所」として新橋・共益商社の名が挙がっているものを見つけることができませんでした。
「戦時」は、日清日露戦争などではなく、いわゆる太平洋戦争の「戦時」と考えてよさそうだというのが今日の結論。
たぶん「戦時」期の『音楽年鑑』(国会図書館デジタル化資料に昭和16年版あり。ほかに復刻版も出版されている)などで、楽器店、楽譜出版社などを調べていくと、もう少し詳しく確認できるでしょう。
また、信時潔資料でどのような五線紙を使っているのか、もう少し調査が進むと別の例も出てくるかもしれません。
この記事の続報 → https://nobutoki.com/plugin/blogs/show/52/107/326#frame-107
(URL 2021年9月訂正)