信時潔の作品と“やまとことば” が増刷されました
以前紹介したやまとことばの歌唱法と発声法についての資料が
増刷されました。
2冊セットです。
坂上昌子著
「信時潔の作品と“やまとことば”」
「日本歌曲における“やまとことば”の歌唱法と発声法」
1,300円(送料込み)
<連絡先>
Email: utakomasuyama☆a08.itscom.net
(☆をアットマークに変更してください)
木下記念スタジオ: 増山歌子
Kiyoshi Nobutoki - English page
サイト内すべてを検索するためヒット件数が多くなる場合があります。
以下の情報は、各ページのデータベース検索窓でも検索できます。
主要作品(独唱曲、合唱曲、器楽曲)、信時潔著作・執筆(単行書、執筆・座談会等)、校歌・社歌・団体歌、
入手可能な楽譜・CD/DVD、演奏会・イベント情報、関係文献目録、海道東征上演歴
No-b-log の・ぶ・ろぐ http://noblogblog.blog.shinobi.jp/で過去に掲載していた記事を、このサイト内に移行・アーカイヴしました。(但し、国内のゆかりの地を訪ねるシリーズは、こちら)可能なものはURLの変更や、訂正も入れています。
以前紹介したやまとことばの歌唱法と発声法についての資料が
増刷されました。
2冊セットです。
坂上昌子著
「信時潔の作品と“やまとことば”」
「日本歌曲における“やまとことば”の歌唱法と発声法」
1,300円(送料込み)
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Email: utakomasuyama☆a08.itscom.net
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木下記念スタジオ: 増山歌子
信時潔は、明治43年、下記の演奏会に出演しています。
曲名もわかったので、記録しておきます。
情報源は当日のプログラムです。
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明治43年10月23日(日)午後六時開会
音楽奨励会第一回演奏会
於 麹町区内山下町華族会館
出演 1stヴァイオリン 多久寅
2ndヴァイオリン 川上淳
ヴィオラ 大塚淳
チェロ 信時潔
演奏曲目
1. モーツァルト セレナーデ第13番「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
2. ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 作品18-4
以上
歌曲「沙羅」の作詩者、清水重道について、追加情報です。
国会図書館のデジタル化資料
清水重道著『よしのしふゐ』(柴山教育出版社 昭和19)に著者紹介があります。
ほかの資料とは記載内容が違う部分もあります。
この記載内容だけを支持するものではありませんのでご了承ください。
なお、国会図書館サーチhttp://iss.ndl.go.jp/ や、
国会図書館デジタル化資料の検索ページhttp://dl.ndl.go.jp/
では、
このほかにも清水重道の単行書、詩や執筆記事情報を探せます。
『沙羅』の作詩者清水重道 について
よく質問があるので、主な参考資料を紹介します。
男声合唱団シャウティングフォックス第9回定期演奏会
(平成19年10月14日(日))プログラム に、詳しい記事
早川雅之著「わが師 清水重道先生」があります。
http://homepage3.nifty.com/abkfox/sub7.htm
また、『京都音楽家クラブ会報』432号(第38巻5号)(1993.5) p.2 に掲載された
土肥みゆき著「日本歌曲をめぐって 「沙羅」 作詩家清水重道と信時潔」には
1987年に、清水重道未亡人からの手紙の一部と、同年土肥氏が
清水未亡人宅を訪ねた折の様子などが書かれています。
※『京都音楽家クラブ会報』は、京都府立総合資料館所蔵
畑中良輔独唱「沙羅」のFM放送があるそうです。
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「歌曲集“沙羅”から 第3曲“北秋の”、第4曲“沙羅”」
清水重道・作詞、信時潔・作曲
(4分43秒)
(バリトン)畑中良輔
(ピアノ)三浦洋一
<ビクター KCDK-1206>
チャンネル:FM
放送日: 2012年7月1日(日)
放送時間:午前7:20~午前8:10(50分)
ビバ!合唱 -畑中良輔さんをしのんで-
http://www.nhk.or.jp/classic/viva/
蒲原有明作詩の「茉莉花」について、質問があったので、調べてみました。
春秋社版「茉莉花」の終わりのほうにある歌詞「微笑」は「ほゝゑ」というルビが振られていますが、「ほほゑ」という日本語は無いので、「ほほゑみ」の間違いではないか?
調べた結果は http://home.netyou.jp/ff/nobu/page084.html#lcn031 に書きました。
→ 雑記帳 Q.30
蒲原有明の詩集の場合、初版では「ほゝゑ」ですが、その後の版では「ほゝゑみ」というかな表記に直しています。初版はルビを「ほゝゑみ」とするべきところを、誤植で「ほゝゑ」になってしまったのかもしれません。
それを信時潔は、蒲原有明の初版のまま、作曲したわけで、表記もそうなってます。ただし、楽譜を見ると「ほほゑみ」と歌っても良いように、音符が分かれているのは故意か偶然か・・・???
などと考えていたところ、畑中良輔先生は、そう歌わせていたとらしい、いう説が聞こえてきました。 それでは、2005年夏の「青の会」演奏会では、どう歌っていたか?と辿ってみたところ・・・
やはり、この時の片岡啓子独唱「茉莉花」(伴奏:塚田佳男)は、「ほほゑみ」と歌っていました。
以上、今後演奏される方のために記録しておきます。
2012年5月24日、畑中良輔先生が亡くなられました。
この秋11月23日の演奏会「信時潔とその系譜」の実行委員長を引き受けてくださっていたのです。
先生御自身もいろいろプランをお持ちで、これから内容を詰めていくのが楽しみだったのですが、残念です。
先生には本当にお世話になりました。
信時潔作品の普及、あるいは復権?に、とても大きな貢献をしていらっしゃいました。
東京音楽学校の学生時代には「海道東征」を歌われたそうです。
そのことは畑中先生のご著書『音楽青年誕生物語~繰り返せない旅だから2』 にも書かれています。
そのほか、以下のような接点がありました。
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1944年 雑誌『音楽文化』2(3)に「信時潔作品 「沙羅」のレコードに就て」を執筆。木下保による「沙羅」のレコードの批評(紹介記事)。
1973年 畑中良輔独唱による「沙羅」「幻滅」「をみな子よ」「ばらの木」「つなで」「わすれな草」「野火」を含む『信時潔作品集』 (ビクター SJX-1034)を録音。
その復刻CDはこれです。
2000年 日本合唱協会第118回定期演奏会で「紀の国の歌」を取り上げた。そのライブ録音を『日本の合唱百年 四つの時代』(フォンテック FOCD3473)として発売。
(実はこのとき久しく絶版で楽譜がなかったことから、2005年に楽譜復刻を目指す一つのきっかとなった)
2005年 春秋社版 信時潔 『独唱曲集』 『合唱曲集』 『ピアノ曲集』の復刻について、推薦人代表として、帯に推薦文を執筆。
同年8月1日(信時潔の命日)、信時潔没後40周年記念として、畑中先生主導のもと青の会が「信時潔作品」を取り上げ、紀尾井ホール満席の大盛会となった。
2008年 CD『SP音源復刻盤信時潔作品集成』に、序文「信時潔の肖像 私的信時潔小論」を執筆。
以上のほか、音楽の友ホールの日本歌曲連続演奏会などでも度々信時潔を取り上げた。
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といったところが、主なところでしょうか。
これらは、先生のお仕事、日本の音楽界への貢献全体からみれば本当にごく一部で、オペラ歌手、声楽家・合唱指揮者・音楽評論家、そしてまた作曲家として、本当に幅広く音楽に尽された先生でした。
本当に何度も、お電話をいただいたり、ご助言いただいたり、さまざまなご協力いただきました。
畑中先生、ありがとうございました。
今日はこれから、先生の「沙羅」のCDを聴きます。
偉大なる畑中良輔先生を偲びたいと思います。
6月7日(木) NPO法人「ふれあい塾あびこ」の公開講座で、信時潔を紹介します。
60代から90代までの「塾生」のみなさんに、CDの音楽を交えながらお話します。
詳細は・・・準備中です。
4月5日から、東京藝術大学大学美術館「春の名品選」で、信時潔の「我等は太陽民族」の演奏が展示公開されています。
詳しくはこちらに書いています。
http://home.netyou.jp/ff/nobu/page006.html
iPadで聴く、復元演奏、どのようなものでしょうか。
ところで、同展の展示リストを見ていたら、
「滋賀県立商業学校校歌(現・滋賀県立八幡商業高等学校)校歌」がありました。
ちらしに「旋律譜」が載っている校歌は 土井晩翠作詞、楠美恩三郎作曲。
明治40年10月9日作曲とあります。
これで、わかりました。
信時潔の楽譜帳にこの曲名があったのです。ただし「作曲」ではありません。
昭和14年頃の「伴奏譜」で、タイトルは「滋賀県立八幡商業学校校歌」と見えます。
信時が作曲した他の校歌の楽譜(自筆)に比べて、作詞者作曲者の記載がなく、歌詞、旋律も書き込まれていないのですが、とくに伴奏作曲とか、編曲という記載もないため、詳細がわかりませんでした。
旋律のみだった楠美恩三郎作曲の校歌に、信時潔がピアノ伴奏を作曲した、ということのようです。
*伴奏のみのため、ウェブサイト掲載の校歌リスト http://home.netyou.jp/ff/nobu/page013.htmlには掲載していません。
前回「小津安二郎と信時潔」の記事を書くときに、検索していたら、「小津安二郎の映画音楽」というサイトがあるのを見つけました。
http://saitotakanobu.blog.fc2.com/blog-category-12.html#top
https://soundtrack-of-ozu.info/
そこには、東京音楽学校で信時潔に師事した作曲家・斎藤高順のことが、詳しくのっていたので、連絡してみたのです。斎藤高順先生には、今から20年以上前に、信時潔に関するアンケートをお願いしたことがあります。この時のアンケートの回答(計27件)は折に触れて取り出して参照したり、引用したりしています。それだけで「証言集」が作れるほど、貴重な情報の宝庫ですが、そのままの公開は権利の問題もあるので安易にはできません。が、今回は、齋藤先生の情報を積極的に公開しているページと見受けられ、信時潔に関するアンケートの回答を載せていただけないかと持ちかけてみたのです。
すると、話はトントンと進み、すぐに対応して下さり、間もなく、同サイトに「小津安二郎と信時潔の接点 その1 」「その2」 というページが出来上がりました。
http://saitotakanobu.blog.fc2.com/blog-category-12.html#no160
https://soundtrack-of-ozu.info/ozu-archives/ozu-and-nobutoki/309
http://saitotakanobu.blog.fc2.com/blog-category-12.html#no161
https://soundtrack-of-ozu.info/ozu-archives/ozu-and-nobutoki/310
私からお送りした「アンケート」、齋藤先生執筆の「学校音楽」の記事(画像)も載っています。
私が、アンケートを通して知りたかった作曲家、教師、また一人の人間としての「信時潔」が見えてくる内容です。
そして、これらと併せて公開されたのは、齋藤家とっておきの一枚!の写真-----斎藤高順 信時潔 小津安二郎の三人が並んでます。
t.saitoh 様 貴重な資料のアップロードありがとうございました。
古い記録を整理していたら、東京音楽学校で信時潔に師事した齋藤高順(たかのぶ)氏に問い合わせした記録に、こんなことが出てきました。
「結婚した時媒酌をお願いした」
「結婚式(昭和30年5月6日)で初対面なのに意気投合された方に映画監督の(故)小津安二郎氏が居られた。信時先生は当時芸術院会員であられたが、数年後小津監督が芸術院賞を受賞されたり、芸術院会員に選出されたりして、お互いがお会いする機会も増した事は、また素晴らしい事であった。」
熱心に映画(それも日本映画)を見たという話は、あまり聞かないのですが。
小津安二郎と、信時潔、どんな話をしたのでしょうか。
12月17日、山下公園前の神奈川県民ホールで、シアターピース 合唱でたどるニッポン・歌の花籠 を聴いて来ました。横浜市立大学混声合唱団の第44回定期演奏会。『「国民歌」を唱和した時代―昭和の大衆歌謡』などの著書がある戸ノ下達也さんの企画構成。藤井宏樹指揮、しままなぶ演出。以前、山梨県で演奏されたシアターピースの「横浜初演」です。
プログラムには、「明治から昭和に至る一世紀余りの時代の諸相を「うた」から再考する試み、」とあります。
一応明治以降の洋楽を専門としてきた私ですが、改めてこうして聴いてみると、「なるほどそういう意味があったのか」と思うところもあります。
明治のうたから、順にたどって、信時潔の「子等を思ふ歌」を聴くと、なるほど借り物の讃美歌の響き(小学唱歌)、女学生の歌、学校唱歌から一歩出て、「唱歌」を合唱で歌うのではなく、「合唱」するための「合唱曲」が生れた、それがこの曲だったのだと感じます。
シアターピースの筋書きの中で歌われた「海ゆかば」。冒頭の「Mestoso」をどう歌うべきか、どういう気持ちで歌うのか、考えさせられます。
そのほか、それぞれの時代を語る「うた」全26曲を、趣向を凝らした衣裳のメンバーが歌ったのですが、大掛かりな装置もなく、さりげない演出ながら、曲を追うごとに舞台上の空気が変わり、その時代の衣裳が浮き上がって見えて、シアターピースとしての効果はすばらしいものでした。
「死んだ男の残したものは」は、何度か聴いた曲なのに、今回の演奏で、再び涙してしまいました。
谷川俊太郎、武満徹はすごいです。そして、なにより演奏がすばらしかったです。
ここで、ジーンとしてしまって、このまま終わったらどうしよう・・・と思いましたが、そのあと、髙田三郎の「雨」、そして佐藤眞の「大地讃頌」でクライマックスを迎え、感動のうちに終演。若い皆さんの熱い演奏でした。
追記 「音楽挺身隊歌」と「大地讃頌」、どちらも作詩は大木惇夫なのでした。
「全国中等学校野球大会の歌」の印刷譜を入手しました。
CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 の解説書p.75に掲載した楽譜は、信時家に残っていたものですが、楽譜帳に貼られていて、掲載誌(紙)がわかりません。活字の感じから、新聞というよりアサヒグラフなどの可能性が高いと思って、私も随分調べましたし、朝日新聞社にも問い合わせてみたのですが、わかりませんでした。
初演当時のアサヒコーラス、何度かのレコード録音、そして毎年の野球大会で歌われたはずですが、どの楽譜を使っていたのでしょうか。
今回入手した楽譜は、歌詞と旋律譜、数字譜付というもので、1枚二つ折り計4ページ
タイトル等の表記は
「全國中等學校/野球大會の歌/(朝日新聞社懸賞募集一等當選)/福武周夫作歌/信時潔作曲/大阪朝日新聞社」
日付の記載なし。最終ページに「非賣品」とあります。
第1ページが歌詞で、第2ページと3ページが見開きで旋律譜。その音符の下に数字譜と歌詞がふられています。『大阪朝日新聞』 大正15年7月8日 朝刊の1面 に掲載された旋律譜とほぼ同じ。紙面の関係で新聞掲載譜は縦長になっていますが、今回の印刷譜は見開き二頁になっています。別掲歌詞も新聞では縦書き、印刷譜では横書きです。
さて、第4ページを見ると、なんとそれは信時作品ではなく、山田耕筰作曲、齋藤龍作詞の「国際オリンピック大会派遣選手応援歌」が掲載されています。信時作品は楽譜等すべて活字(?)印刷されていますが、山田耕筰作品は手書きの旋律譜です。(耕筰の筆跡ではないと思われます) 『山田耕筰作品資料目録』を、このタイトルで引くと「→ 走れ大地を」とあり、当該ページに似たような印刷譜はありましたが、別資料のようです。
信時潔の曲は初出が大正15年ですが、山田耕筰の曲は、昭和7年頃の作品なので、同じ「朝日新聞社懸賞募集一等当選」の作品を一緒に印刷したものと思われます。
信時と山田の作品が一つに収まっている、という、非常に珍しい例です。
参考文献:
遠山音楽財団付属図書館編『山田耕筰作品資料目録』http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001741921/jpn
日本近代音楽財団日本近代音楽館編『山田耕筰年譜』http://opac.ndl.go.jp/recordid/000007633062/jpn
今日のGoogleロゴが野口英世だったので思い出しました。
信時潔は「野口英世」というタイトルの唱歌を作曲しています。
文部省唱歌と言われ、作曲者名は公表されていませんが、自筆譜が残っています。
自筆譜には(信時潔作曲)とカッコ付きで記載され、作詞者は記載なし。
欄外に「十六・十一・四 文部省」という書き込みがあります。
初出は『初等科音楽』(ニ) (昭和17年2月刊) 国民学校四年生用につくられたものです。
野口英世生誕135年を祝して、書き留めておきたいと思います。
スゴイものを見つけました!
「東京文化会館 アーカイブ」
http://i.t-bunka.jp/
1961年開館以来、東京文化会館で開催された演奏会プログラムの情報を検索できます。
なんと、演奏会の名称はもちろん、出演者、作曲者などでも検索でき、演奏会の内容とプログラムの表紙が表示されます。
もしその中身=プログラムに載っている情報、出演者プロフィールや曲目解説等=を確認したければ、東京文化会館の資料室で閲覧できるのでしょう。
ちなみに、「信時潔」で検索してみたら、136件ヒットしました。
1965年、1966年の信時潔追悼演奏会のプログラムも掲載されています。
未発表の作品が初演された、1977年の「音の資料展 ~かくれた音の資料をよみがえらせる会~」も、演奏曲目がわかります。
すばらしい!
このアーカイブ実現のために動いてくださった方に感謝します。
東京都も偉い! 良いもの作ってくれました。